宗谷本線

<稚内>
高校1年の夏休みに友人と2人で北海道へ行った。夜行列車で早朝に稚内駅についたが、目的の場所に行く手段を知らなかった。横の人に尋ねたらタクシーで相乗りしようということになり、この海の見える丘の近くの道までタクシーできた。

ここは有名な場所で、曇っていたが、この景色が見えたときは感動した。ほどなく気動車やC55の列車などが来て目的の9600の貨物も来た。

さて、帰りが問題だった。こんな僻地でタクシーが見つかるはずもなく。今のように携帯電話もなく、仕方なく、隣の抜海駅まで数キロを歩くことにした。その頃には日が出てきて、夏の炎天下を線路伝いに歩く羽目になった。大陸的な風景が続く中、日陰などなく、リュックとカメラバッグと三脚を担いでの行軍は元気な高校生にもハードであった。

抜海から普通列車で徳富、豊富駅に移動し、9600の貨物を撮った。なぜそこだったかは忘れた。たぶん、旭川に帰りながら効率良く撮れる場所だったのだろう。そしてC57の牽く列車で旭川に向かった。

 

<塩狩峠・比布>
当時数少なくなったC55が走っていた塩狩峠に行った。北海道というのに気温は35度。後で聞いたら旭川盆地は暑いらしい。塩狩駅から旭川方面へ汗をいっぱいかきながら、ブッシュをかき分けて峠へ登ってくるカーブの所まで行った。ほどなくD51+候補機DD51の貨物が来たけれど、煙はほとんど見えない。陽炎が暑さを証明している。C55もここで撮りたかったのだけど、その後に移動する列車の時間があって、駅近くで撮った。そして比布へ移動して石狩川をまたぐ橋梁で逆光の夕陽の中で撮った。C57の写真を撮る場所で、どうしてもウンチが我慢できなくて、ひと目のつかない茂みでしたことを憶えている(笑)

 

 

<旭川機関区>
実は旭川機関区は上記の塩狩峠の前に、午前中に行ったのであった。C55を見るのは初めてで感激した。外に出ていたのは戦時型でキャブがかまぼこ形。流線型になっている後期型は機関庫の中に居て全体は撮れなかった。このあと、午後から塩狩峠にやってきたのは戦時型だった。