山陰本線

山陰本線には、中3の春休み、高校に上がるときに行った。この時は山陰本線と北九州を回った。当時の周遊券で回れたからだった。山陰線は、当時すでに米子以東にはSLは走っていなかった。米子以西も時間の問題で、友人と焦る思いで行ったように憶えている。しかし、なんせ中坊であるので、写真がぼけているものや良く分からないカットもあったりする(笑)たしか中古で買ったミノルタSRT101と標準レンズ、Kenkoテレプラス×2で撮ったのではないかと思う。望遠レンズなど買うお金はなかった。フィルムは生意気にTRY-X。

当時丁寧に記録をつけていて、それによると急行「雲仙」2号で夕方18:21に新大阪を経ち、下関に4:36に着いている。それから黒井村、特牛、湯玉、長門二見で撮って、長門市で泊まっている。翌朝は、早朝から特牛、黄波戸で撮る予定が寝過ごしたらしく(笑:メモに書いている)、9時すぎから今度は東方面へ行き、飯井、宇田郷で撮っている。
長門市での宿は普通の旅館だった(当時はビジネスホテルというものがなかったように思う)が、テレビのチャンネルが少ないのに驚いた記憶がある。都会育ちの中学生には新鮮な体験だった。

<黒井村>

 

<宇田郷>


宇田郷の後は、門司行きの列車(831レ)で一旦門司へ行き、折返し23:13発の列車(802レ)で浜田まで引き返している これは宿泊費を浮かすための策だったはず。しかし、このあたりの事を憶えていない。

翌日3:57に浜田に着き4:23発(823レ)で益田5:06、さらに5:10発(526レ)で岡見に行き数本撮影している。この岡見のことはひとつ憶えていて、お腹が空いたので何か買おうと駅前を探してもお店がなく、かろうじて開いていたお店で食パンだけ買えたような記憶があり、それを岡見の駅舎で食べていたような記憶がある。結構寒くてしみじみしたイメージ。まだコンビニもないしもちろんインターネットもないし、旅の経験もない中学生なので、都会と同じような感覚でいたのかも知れない。

<浜田機関区>


浜田に戻って、有名な折居の築堤に行き、萩で泊まる予定になっていた。その頃に確か翌日は国鉄のスト(春闘?)になって、列車がまったく動かないということを知ったように思う。都合よくというか、この日は雨になったのでバスで秋芳洞観光に行き昼過ぎに戻ってきた。雨が上がって自転車を借りて反射炉や松下村塾などを見にいったが、歴史が苦手だったので、吉田松陰がどういう人かも知らず、反射炉が何かも知らず、ただ見てきたという意味の無い観光だった(笑)中学生だと萩ですることがなかった。秋芳洞は、鍾乳洞というものを初めて見たのでそれなりに感動した。

萩の駅前の土産物屋で、当時私を大事にしてくれていた祖母へのお土産として萩焼の湯飲みを買って帰ったが、祖母はもったいないから使えんといって、僕に使わせた(笑) 今から思うと祖母には少し大きな湯飲みだったかも知れない。土産物屋の後に、駅へ行くとD51が停まっていたので撮影して、その日は終わった。

<長門機関区>

 

ストで計画が狂って、色々変更したのだと思うが、この頃からの記憶とメモが合わないので、メモは行く前に書いたのかも知れない。次の日、奈古かどこかで撮ったと思う。苦い思い出があり、奈古で撮ったフィルムを2本くらいなくしていたのだった。なぜどうやってなくしたのか分からないが、帰ってきて現像したら、ぜったいに撮ったはずの写真がなかった。奈古の駅で乗ってきた列車の出発を撮った写真はあり、その後、駅から歩いて小高い丘の上から撮ったのなどがない。その日も天気は悪く、曇りや小雨だったので、雨具を出したりごちゃごちゃする中で落としてしまったのかも知れない。

<特牛・奈古・萩>


その後、浜田に行き夕方に浜田機関区で撮り、江津へ向かった。

三江北線のC56がまだ走っていた。うす暗くなっていたがC56と江の川の鉄橋を行く山陰線を撮ってその後、温泉津に泊まったような記憶があるのだが、行程上おかしいので、泊まってないのだろう。

メモには急行「さんべ」で西へ移動したように書いている。それによると松江を22:29に出発した「さんべ」は3:54に長門市に着き、列車を乗り継いで福江というところで友人が入場券を買い、また乗り継いで九州に渡り、田川線の油須原に8:45に着く計画で、実際そのように着いたと思う。

<須佐・折居・その他>