根室本線

<赤平>
昭和49年当時の赤平は、石炭の産地で、長い石炭列車を牽くのが撮れると言うことで行った。友人と途中で別行動の後、朝に赤平で落ち合う予定になっていた。僕は網走から根室に行き、そこから夜行列車で根室本線を赤平に向かった。携帯電話も何もない時代。途中で連絡を取り合うこともできない。夜行列車で寝てしまうと上手く起きないと途中で降り損ねてしまう。はたして友人と出会えるのか。不思議と早朝に赤平に着く前に目が覚めて、赤平に降り立つと友人が待っていた。当たり前と言えば当たり前だが、不思議と言えば不思議だった。
はぐれると連絡を取る手段がない。駅の伝言板(昔はそういうのがあった)に書くか、どちらかの実家に電話をして、伝言をお願いするという方法しかない。
首尾良く再会し、駅から少し歩いた場所で撮影したが、なぜかそれらはピンボケだった。
何年か前に北海道で大規模な土砂崩れが起きたニュースがあり、それが赤平だと行っていたのでこの撮影のことを思いだし、どの辺りがどのように被災したのが気になった。

<帯広機関区>
帯広機関区は、広尾線の帰りに立ち寄った。広い構内に9600がたくさん居た。あまり時間がなく、確かこの後、北見へ向かったような気がする。